古典

指状況と、バックハウス「ハイドンリサイタル」CD

バックハウス「ハイドンリサイタル」

発表会で弾いて以来、気になっているハイドン。今年は没後200年らしい。ちなみに、ハイドンの没日と私の誕生日は同じです。
で、このCDを聴いて思った。古典ってやることがいっぱいあるんだな~~(←古典に限らず、どの曲でも当たり前爆)
ひとつひとつのフレーズをどう弾くか。曲全体の構成をどうとらえるか。考え出すと大変。音のするのはもっと大変。でも、だから面白い。

で、すごーくすごーく心魅かれた曲をさっそくDLした。

「アンダンテと変奏曲へ短調 Hob.XVll.6」

調べたところ、この曲は友人ゲンツィンガー夫人(一説にはモーツァルトも)の死をきっかけに書かれたらしい。
透明な悲嘆・・・と言うのが感想だ。
大好きなモーツァルトのロンドイ短調にも、この透明さを感じる。

以前、いかにはじけ、喜び、悲嘆にくれようと、モーツァルトは18世紀人であった・・・という文を読んだことがある。
私はこれを、理知のベールをかぶりつつ、その豊かな感情を表現する・・・と解釈したのだが。
古典の「たくさんのやること」って、これなのかなーと今は感じている。


大好きなスペイン音楽。なかでも大好きなグラナドスには、思うがままにはじけ、喜び、悲嘆にくれる奔放さを感じる。
恋したよ!(嬉)あれって素敵!あの子はいかしてる!悲しい。センチメンタルな思い。ストレートに伝わってくる。
それが、すごく心地いい。加えて、地からつながっているような民俗色。血が騒ぐ。

同じロマンでも、ショパンには違う感じがする。
地に着いた民族性と、歴史を骨格に秘めたロマンを感ずるのだ。
いや、スペインものも歴史を秘めているんだけど。
上手く説明できないのだが、この二つの感覚は、私にとって、すごく乖離しているように感ずる。
反面、表現しようとするのなら、同じように練習や解釈を進めるべき(というか、それしかできない)とも思うのだ。


で、ショパンのバラード1番である。
譜読みを進めていく段階で、私の場合、CDを聴かないようにする時期がある。
ある部分で、音だけを眺めていて「ここはコケティッシュなのかな」と感じてしまった。
で、CDを聴いてぶっ飛んでしまった。コロコロ転がるような部分だった。
再び楽譜をよーく見て、「scherzando」と書いてあることに気付いた。最初から譜面よく見ろよ<自分。
大きくオクターブで跳ぶとき、エネルギーが入用で、でも実際に音を出す時にはブレーキをかけて。そんな風に感じていたのだが、そりゃあ無理です、あの速度で弾くためには。
でも、最近練習していて思うようになってきた。そう感じていても、「scherzando」に弾く方法は、あるのではないかと。

レッスンで直されるかもね。(それもまた楽しい^^)
でも、とりあえず、今読んだ状態で、先生に見ていただいて、苦手意識のあるショパンを、少しでも理解できたら、と思う。


そんなわけで、来週、久しぶりのレッスンで~す!!楽しみ~♪(^^)♪~


で、タイトルに挙げた指状況です。
今日始めて、素手で(笑)弾いてみました。

オクターブで早く動くところはまだ無理。痛くて、途中でギブアップ(><)
バラ1の方が痛い気がする。シャコンヌはどうかなー。音形的に、少し痛みに関しては楽そうなんですが。
爪はすっかり伸びたんですが、切った部分の中のほうが当ると痛い感じです。
まだしばらく、弾くときは傷バン付きかなー。

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