ピアノと私

「ピアノを弾くということ」その他もろもろ

「ピアノを弾くということ。ピアニストは八百屋さん?」花岡千春著

大分前に読んだ一冊。内容細かいところなど忘れていたり、勘違いなどもあると思いますが、とても興味深い一冊でした。

ピアノ演奏の違い~中でも音色や音楽性など~は、その実は音量やタイミングなどの違いに過ぎないとの言に、まず目ウロコです。
加えて、その音楽の作られた時代背景・作曲家自信のスタイル・環境・当時の社会的背景・・・などを理解し、
曲の構成や当時の演奏法なども知ることが大切であると。
そうか、芸術的・感覚的というより、理論的にピアノを弾くということをとらえて説明している本なのか・・・と思いきや、
しかしながら、感性の作り出すものは常に重要である・・・とも。

こういう考え方は好きですね~
ある種の考え方のみでなく、色々な方向から物事をとらえる考え方。私の理想です。
ピアノを弾くって、そういうバランスが大切なのかもと思える。
頭の冷めた部分で、色々工夫を凝らし、かつ感性の呼び声にも耳を澄ます・・・
そんな演奏が、一生に一度でも出来たら、もう思い残すことは無いとまで思えます。

しかし、自分を省みると、テクニック的に足りないものをなんとかしようともがき、この音素敵heart01と思った音を、何とか真似ようともがき、もがきもがきで終わってしまうなあ。
曲の分析と、その作曲家の生涯や時代背景を学ぶ。。。。。遠い道のりだ(ため息)

『楽しい』ということを、なによりも念頭においている(要は趣味の大人のピアノ♪)私にとって、それらを楽しいと思えるかどうか、或いは楽しいと思えるように自分をだます(笑)のが先決です。
テクニック的に足りないものをなんとかしようとするのも、音を聴くことも、どんな作曲家なんだろうと一行でも説明を読んでみるのも、皆同じ。楽しいと思うか、或いは楽しいか否かとは関係なく頑張りたいと思うか。
そんなことを考えさせられた一冊でした。



その他、読んだ本の中で目ウロコだったのは、
ロマン派のロマンとは、もともとは小説という意味だということです。

バロック・・・ゆがんだ真珠
ロココ
古典
そしてロマン・・・小説。

こうして時代の流れを考えると、古典とロマンの間に大きな差があると感じます。
形のある中、感情や力を、その形の中で自由に表現した時代と、
感情や力を、新しい形を模索しながら表現した時代とでもいいましょうか。(素人の勝手な思い込みですので、どうぞ本気になさいませんようm(__)m)


ここ数日、ソナタアルバムの1巻を、頭から順に弾いてみています。
形式とかはよくわかりませんので、和音進行の・・・これも難しいことはわからないので聴いた感じですが。
ハイドンって時々、現代のポピュラー音楽みたいな響きがします。
その当時、そうした響きが一般的であったのかどうかはわかりませんが、現代に生きる自分の耳には、すごく斬新に聴こえます。
モーツアルトの斬新さは、また違う。
予想もつかない響き、その音なの?なぜ?しかも何でそんなに美しいの?と嘆息するような響きがする。
これからベートーベンに入るので、どんな響きがするのか、気付けるのか、楽しみにしたいと思います。

とりとめも無い話を長々と、すみませんsweat01
ここまでお付き合いくださった皆様、どうもありがとうございましたm(__)m

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なおった♪

今朝、調律師さんに来ていただき、下がったまま返ってこない鍵盤を診ていただきました。

ものの15分ほどで・・・

なおった♪♪♪vvv(^^)vvv

一緒に感触の良くなかった周囲の鍵盤もなおしてくださいました。るんるん

原因は湿気だそうです。
家のピアノは北側の4・5畳にあります。すぐ目の前は玄関。この玄関が、冬場ひどく湿気る。
加えて、帰省で家を空けていた間、部屋のドアを締め切っていた (-_-;) シマッタシマッタ

なおったピアノを楽しみながら、冬場の外出の際は気をつけようと、心に誓ったのでした。

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新年早々・・・

皆様、新年おめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。
今年もどうぞよろしくお願い致します。


年が明けてから大分経ってしまいました。。。
3日に帰宅して、4日は初春の楽譜買いに・・・るんるん(^^)

グラナドスを一冊ゲットして、帰ってきて、早速ピアノを弾いてみた。
2008年最初の曲はコチラ・・・・バッハ=ブゾーニ「シャコンヌ」♪
弾き始めて・・・・んんんんん?????
低いファの鍵盤が・・・・・

か、かえらない・・・・・

がーーーーーーん!!!!

鍵盤が下がったまま上がってこないのです。
良く使う音だし、弾くたびに下がったままなのはストレスたまるので、練習はしばしお休みです(涙)

明日、調律師さんに来ていただきます。
早く治って・・・・・・

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音が見えるとき

10代の頃、私のピアノは音を出すだけのものだった、と思う。
楽譜は音高と音価しか読めていなかったと思う。

当時、先生にその点を注意されても、私はその通りだと思うだけだった。
今思うと、なんと言う傲慢。多感な頃とはいえ、自意識の方が過剰なタイプだったせいかもしれないが。

長じて後、音楽に関係する仕事に就いてから、楽譜が違った風に見えだした。
スラーが、スタッカートが、曲や部分によって、全く違う風に見える。強弱記号は表情記号なんだ。実感した。

他の方に音楽を伝える(教える)には、その曲を分析するのは当然として、その内容を相手に伝えなくてはならない。
伝え方も、言葉だったり、例えてみたり、実践したり、直接的に手をとってみたり、全身を使ったり。
音楽の仕事に就いて、私はとてつもなくたくさんのことを学ばせていただいた。

その頃、しかし私は自分のピアノの勉強は少ししかしていなかった。
他のもの(他の楽器とか和声学とか・・・色々です)は学んでいたが。
他の人に、楽譜に書いてあることの表現の仕方を伝えることと、自分自身が読んで自分なりの音にすることとは、少し違いがあると思う。
解釈する内容は同じでも、伝えるという形の表現と、自分で音にするという形の表現とでは、
自分と音楽との間柄が違ってくるのだと思うのだ。



さて、出産で5年ほどピアノから離れ、2005年にピアノを再開した。
再開当初は、楽譜と頭と目と耳と指が、わずかづつずれて機能しているような感覚に戸惑いながらも、その感覚を楽しんでいた(この経緯は本館ブログのこの記事にあります)。


今、私はピアノが楽しくてしょうがない。
初めての曲を弾く。少しづつ弾いていく。あるとき、ひとつの音が、こんな音で弾いて・・と語りかけてくる。
この瞬間が、嬉しくてたまらない。
遠くから聴こえてくるような音、重いスタッカートに三角のスタッカート、この音は上げて後の音は響きを落として、この音はかえって、すっと抜いて、ふわっと抜いて、羊羹みたいな音で・・・・・・弾きたいと思う時、すごく幸せだ。
もちろんすぐに出せるわけではない。こう弾きたい、と思ったまま、思っただけの音もたくさんある。
でも、自分の中に、音が見えるだけで嬉しい。

私にとって今は、ピアノとの蜜月なのだと感じることがある。
遅い目覚めなのだと思う。ピアノをはじめて30有余年、ようやく気付くなんて。頭の冷静な部分では、この遅さがとても恥ずかしい。
でも、音が見える喜びは大きい。遥かに大きい。


最近、弾いていて、疑問に思うことが多くなってきている。
この指の動かしかたでは、腕がこる。正しい奏法を知りたい。
この部分はこの解釈でよいのだろうか。
独学で、古典やバッハを弾くのが怖い。とんでもないことをしそうだ。(あくまでも、私の場合はです)
苦手のショパンも弾いてみたい。それこそ怖い。

レッスンに行きたい。

でも、私はレッスンに行くことで、自分で考えることをやめてしまうのではないだろうか。
教わることに安堵して、自分で感じることを疎かにしてしまうのではないだろうか。
(これは、教えていただくということとは全く関わりなく、あくまでも自分自身の問題です)

その、自分自身に対する信頼感の無さが、レッスンを始める第一歩を踏み出せずにいる。

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音楽は嬉しい

夫の急な転勤話でここ数日大わらわの我が家。(それについてはまた後ほど書くかもしれません)
しかし、ピアノはそれなりに弾いている(←やること満載なのに・笑)

何か悩み事があったとき、つらい時、なんとなく気分が晴れない時、
ピアノをやっていて本当に良かったと思う。
気分転換とも違う、悩みを忘れるわけでもない、弾くことで何かが解決するわけでもない。

一番近いのは・・・心の支えかな。

こんなことを書くと、心の支えになってくれている人たちが、家族を始め周りにたくさんいるのに、何なんだ~~と自分で自分に突っ込みを入れたくなるのだが、
周りの人たちが、外側からの心の支えが主であるのに対して、
ピアノは、その全てが自分の内側からの心の支えなのだと思う。

音楽と本、この二つが私にとってこの役割を果たしてくれている。
音楽と本に出会えて、ずっと関わっていることができて、そしてずっと好きでいることができて、幸せだ。

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