ショパンスケルツォ第2番Op.31

スケルツォ2番

スケ2のレッスンで最も心に残っているのは、その曲のファンでいるだけでは足りないということだ。
その曲を好きなだけでは足りず、楽譜を読み取り、細かい工夫を凝らして初めて、自然に聴こえたりまとまって聴こえたりするのだということ。


正直に言って、ショパンには弾けるようになってからも、年がら年中驚かされっぱなしである。
次に来る音がわかっているのに、わ、次はこんな響きなんだ~とか、こんな展開?!といちいち思ってしまう。


学生時代指揮法の授業で、指揮は一拍前の音楽だと習った。
たとえ奏者がfffで演奏していても、次に出てくる音がpppならば、一拍前(或いは直前)に指揮者は次はpppだと伝えなければならない。そのためには、自分の中ではさらに、一拍前の一拍前にpppを想定しなくてはならない。


この、一拍前ができない。
結局、曲の読み込みが足りないってことなんだろうな。
ほかの作曲家の曲と比べても、同じくらいに弾けるようになったとき、はっと思った時でも間に合う曲と、そうでない曲があり、私にとって、ショパンの曲は後者の曲が多い気がする。
スケ2なんて、結構聴いているのに(多分、冬に弾いたブラームスよりはるかに多く聴いている)、なぜか弾くといつも驚かされる。ブラームスは、確かにかなり驚かされたけど、だんだん驚きの速度が間に合うようになったのとは違うようだ。
この辺が、ショパンは苦手、でも好き・・・に通じているのかも。

余談だが、ここ数年弾いた曲の中で、一番オドロキそうなアルベニスが、自分にとって一番響きの流れが自然だった。
グラナドスもかなり自然。
ハイドンは結構ビックリだったが、変奏曲なので間に合った。
シャコンヌは驚かなかった。何しろ30年聴いているので・・・
ブラームスは最初オドロキすぎて、弾いているのに曲の流れが全く読めなかったが、最後には間に合うようになってきた。
バラ1は驚かされ続けた。
聴くだけに限って言えば、上記の感想とは、まるで違う感想が出てくると思うのだが。


さて、そんなこんなで練習してきたスケ2だが、練習の仕方が悪かったようで、右腕が痛くなってしまった。

ショパンって、私の手には、ギリギリギリギリ届きそう・・・でも届かないかな・・・でも無理すれば届きそう・・・な和音の幅なのだ(全く届かなければ無理しないのだが)。
特に、492小節~や552小節~が、ギリギリ和音のffで、何しろ弾けないため、ガリガリ練習してたのがよくなかったらしい。
なのでこのところ力を抜いて弾いていたら、それはそれで意味があったようだ。
今はもうよくなったので、ffも大丈夫なのだが、抜き気味に弾くようにしている。
334小節~や468小節~などは、もっとパリパリ弾きたいところなのだが、ちょっと間に合いそうにないなあ。


そんなわけで、あと少しでスケ2の本番です。
4号線の皆様には本当にお世話になります。
当日はどうぞよろしくお願いいたしますm(__)m

| | コメント (0) | トラックバック (0)